B&C.複雑巨大人工物の安全性関連研究および環境にやさしい人工物設計関 連研究

(吉村、小特集「劣化・老化とライフサイクル」の総括、シミュレーション、 Vol.15, p.2, (1996)より転載)


人も生物も、そして人工物も次第に老いていくというのは自然の摂理であり、 一般にはネガティブなイメージが強い。人工物のみを対象としていると、つい つい「時間の経過=劣化=負の側面」と考えがちであるが、それは明らかに誤 りである。人や生物については、まず成長のプロセスがあり、その後半生にお いて老いが顕著になってくる。材料においてもはじめのうちは時間とともに強 度が増すという事象もあり、「経年化=劣化」という単純な図式は成り立たな い。とはいえ、長い目でみれば、生物と比べて、人工物の成長のプロセスはあ まり顕著ではなく、ほとんど劣化の側面が強調される。

一方、このような自然科学的な意味での「成長や劣化」と社会的あるいは文化 的な意味での「成長や劣化」とは意味が必ずしも一致しない点に注意を要する。 たとえば、新品の車を購入しても、新築の家を建てても、それを少しでも使用 した後に第3者に売ろうとすれば、「中古」の烙印を押され価格がぐっと下がっ てしまう。明らかに自然科学的には新品であっても、社会的には劣化が起こっ たものとみなされてしまうのである。逆の例もある。職人などが使ういわゆる 「道具」といわれるものは、新品のうちは何となく手や体になじまず、使って いくうちに次第に使い勝手がよくなる。これは明らかに成長のプロセスである。 しかも、それは磨耗によって角がとれ、手垢などによって表面がなめらかにな るという自然科学的な意味での劣化のプロセスに起因している。

さて、自然科学的な意味における「劣化や老い」に話を戻そう。人工物では、 古くなって壊れたものは修理するというのが自然の考え方である。しかし、そ れが不可能であったり、技術的に可能であっても修理費用が高ければそのまま 捨てることになる。私たちの日常生活では、昔はモノを大切に使うことが美徳 であり、色々な場面で修理しながら長く使ったものである。ところが、高度経 済成長期には使い捨て文化が隆盛を究め、修理コストの上昇(具体的には人件 費や部品の保持・管理コストの上昇)に伴って、故障すればあるいは見栄えが 悪くなると捨てるということが起こった。この傾向は最近でも続いている。し かし、一部の人工物においては、如何に長く使うかが大きな技術課題となって いる。大型の社会インフラの設備は一度設置されると経済的また社会的に簡単 には取り替えることが困難であるという宿命を持っている。このために、必然 的に設計時に想定した寿命よりも長く使おうという寿命延長が求められる。こ れには、発電プラントや化学プラント、航空機や船舶など大型の構造物がほと んど含まれている。研究課題としては、劣化メカニズムの把握、劣化のモニタ リング技術の開発、それらを基礎とした

一方、個人消費材についてみてみると、そのライフサイクルは上記の大型機器 と比べるとはるかに短い。それは製品の機械的寿命よりも個人の好みに影響を 受ける文化的寿命によって決まっているためである。しかし、これも環境問題 が次第にクローズアップされるにつれて、状況が変わろうとしている。トータ ルとしての廃棄物や廃棄エネルギーを減少させたいという環境への配慮から、 保守・修理の容易性、リサイクルの容易性、廃棄物の減量化、長寿命化などの 製品のライフサイクル全体を睨んだ取組みが重要であると認識されるようになっ てきた。それに伴って、計算機やシミュレーションを基盤とする研究開発が徐々 に現れ始めている。

人工物の寿命評価やライフサイクル設計という考え方は、そもそも人間の寿命 やライフサイクルの取り扱い方と大いに類似するところであり、後者の分析か ら前者の取り組みに対する新しい発想が生まれてくる。一方、人工物の故障プ ロセスにアナロジーを求めながら、人間の寿命モデルを数理的にモデル化する 試みは、その逆の試みとして大いに興味をそそられる。

劣化や老化、ライフサイクルという現象を特徴づけるキーワードには、個別的、 複合的、非線形、総合化、学際性などが挙げられる。それらに対処するには、 生物か人工物か、疲労か腐食か、マクロ的な評価かミクロ的な評価か、解析か 統合化か、実験かシミュレーションといった単視眼的な取り組みのみでは不十 分である。むしろ、これまでに蓄えてきたこれらの知恵を総動員しながら、創 意工夫によって、この現代的な課題に取り組んでいくことが重要であろう。