(吉村、「知的シミュレーション」、計算工学創刊準備号No.1, pp.50-51, 1995より転載)
「計算工学」を大きく2つの視点から考えたいと思っています。一つは、「計 算工学」を何に使っていくのか。もう一つはどのような「計算工学」が必要で あり、作っていきたいのか。第一の課題は「人工物工学(Artifactual Engineering あるいはResearch into Artifacts)」というキーワードで考え ていこうと思っています。人工物工学の概念や目指すところは、過去に開催さ れたシンポジウム(1-3)で語られているところですが、私の視点では次のよ うに考えています。
多くの人工物(Artifacts)は、人間に役立つことを目的として生み出され、 人間や他の生物と共に、ある一定の期間この世に存在し続けることになります。 現在は、人工物に付与される機能も役割もこの世に産み出される段階で与えら れると、ほとんどの場合にそのまま固定されています。もちろん、産み出され る以前に将来予測がなされ、設計に反映されますが、それは往々にして現実と かなり異なります。また、時とともに人工物も老化し機能が低下するし、環境 も人間の価値観や人工物に対する要求も変化します。
このような状況にあって人工物の役割や機能の固定化は、時に応じて環境との 不適合をもたらしたり、事故という形で人間社会へ被害をもたらすことになり ます。したがって人工物が長期的な観点から人間に役立つ存在であるためには、 環境に適応しながら自己変革を可能とする知的存在であることが必要です (4-6)。このような人工物の実現に向けて「計算工学」をどのように準備し、 利用していくかを大きな課題と考えています。その一つの重要な鍵を握るのが、 「計算機シミュレーションが本質的に有する人工物や自然現象の振る舞いを予 知する能力」です。
この予知に関わる問題は、最近の計算機シミュレーションの発達により急速 に進歩してきました。今後も続々開発される超高速コンピュータや世界規模で 展開されるコンピュータネットワークの利用、その環境を積極的かつ効果的に 利用するための新アルゴリズムの開発、超大規模情報を自在に取り扱うための プレポストプロセッシング技術の開発などにより、計算精度や速度の向上がそ れなりに期待されています。
しかし、我々が住んでいる世界は、空間スケール的にも時間スケール的にも膨 大な広がりを持っており、ある限られた時空間スケールの現象を記述する方程 式群を正確に解けるだけでは、ほんの一部の現象しか理解できません。また、 人工物と人工物、人工物と人間、人工物と環境の関わりの予知という問題にお いては、領域相互間の複雑な依存関係の処理や、異なる時空間スケール現象の 同時処理、人間の感性のように定性的であり個別的である事象の取り込みなど が重要な課題となってくるので、従来型の計算機シミュレーションをただ精緻 化・高速化するだけでは到底対処できないということを十分に認識する必要が あります。この問題の解決のためには、むしろ人間の知的活動における複合概 念の総合化プロセスの理解を通して、シミュレーションモデルの精緻化と抽象 化を同時進行させながら、異なる時空間スケール、異なる領域、定量情報と定 性情報等を適切に総合化するための新しい枠組みが必要になるだろうと考えて います。このような枠組みをここでは知的シミュレーションと呼んでいます (2)。
このような知的ミュレーション技術の構築に向けて、数値情報処理技術、超高 速大容量演算技術、知的情報処理技術のある時は競合的な、しかしある時は協 調的な発展が必要不可欠です。その様な観点から「知的シミュレーション」に 関する研究を総合的に進めています。